第九食

09友食


夕暮れ。

「私ってさ、比較的裕福な家庭に生まれたからさ、ちょっと人との感じ方、価値観っていうのかな。そういうのが違うことが多いのよね」

「何が比較的裕福よ。お金持ちのお嬢様でしょ」

私の言葉に彼女は隣でつまんなそうに窓を見ながら答えた。

私も彼女と同じように頰杖をついてすっかり暗くなった教室を眺める。もう教室には私たち2人だけだった。

「牛や豚はダメなのに、魚は解体シヨーやるんだとか、鹿やイノシシは狩りするのに、猫や犬には動物愛護。唐揚げだって、どうして豚や鳥は殺しても人間は絶対ダメなんだろうってね」

「ふうん、宗教の話?」

「倫理観の話」

ふふっと笑ってみせると、「変な子」と言われてしまった。全くクールな子だなぁ

「人間が人間を殺しちゃいけないっていうのは法律で決まっているからよ。破ればそう、化け物。」

「化け物。」

「そう、人間は殺しちゃダメ。それで十分じゃない。それが根底にあってこそでしょ。理屈じゃないのよ」

彼女は左頬に貼ってあるガーゼに手を当てた。

自身は「転んだ」と言っていたが、

なんとなく分かっちゃうんだ。

でも、どうしたらいいかは分からない。

しばらく沈黙が続いたあと、不意に彼女が呟いた。

 

「もう死にたい」

薄暗かった、ガランとした教室の雰囲気と相まってか、彼女の奥底の叫びが漏れた気がした。聞いてしまった。

私はその寂しそうな、どうしようもなく途方に暮れている横顔をただ見つめるしか出来なかった。

 

次の日、彼女は来なかった。

クラス内ではもう噂が流れている。

家出だって。

家庭内暴力だって。

 

帰り道にパトカーを見た。

彼女の家の前だった。

私は歩くペースを早め、そそくさとその場を立ち去った。

胸の奥に小さな痛みを覚えた。

 

 

【学校来なかったね。家にも帰ってないみたいだけど。どうしたの?

心配だよ。】

ベッドに横たわり、携帯の画面を見つめる。

結局、送信ボタンは押せなかった。

もやもやしながら、廊下を歩いていると、

お姉ちゃんがふらりと寄ってきた。

「京子今日はパーティーだって」

「え?今日何かあったけ、お姉ちゃん」

「んーなんかね。いい食材が届いたんだって」

 

奥から蓮さんが異様に大きな檻を乗せた台車をゴロゴロと押して私たちの前に置いた。

「さあ今日のメインディッシュ!

調理する前にお披露目だ」

お父様が言うと

檻の上に掛かった赤い布を引っ張る。

 

そんなはずはない。ありえない。

だからこれはきっと夢だと思った。

時間が止まったように感じた。

その静止した時間の中で私はこの家族の、美島家の異常さをやっと認識した。

 

「いいものを仕入れたよ」

お父様は満足げだ。

「それにしても、自分の娘を売るなんて、ろくでもない親ね」

お姉ちゃんがそう言った。

 

口に布がまかれ、手足を縛られて横たわり、もがく。

まっすぐこちらを見る目を私は忘れないだろう。

 

檻の中に【彼女】がいた。

 

「命は尊いもの、ありがたく頂きなさい。残すなんて、失礼だわ」

お母様が化け物に見えた。

 

「嫌だ」

 

嫌だ!

 

【イヤ!!!】

 

「痛い!痛いって!!」

俺の指を握る京子が我に帰ったように手の力を抜く。

「ごめんなさい私ったら!」

俺たちは近くの部屋に隠れ

俺は、京子に応急処置をしてもらっている。

蓮さんはそれを面白そうに眺め、それでいて退屈そうにしている。

 

 

 

 

【同時刻。長谷川康夫】

 

大変な人生だった。いわゆる転落人生というやつだ。建設業は楽しかった。せっせと働く、ただそれだけだが、とても生きていると感じた。

それがどうだ。一回の大病だ。たった一回だ、それが人生を狂わせた。

 

ホームレスになってからは

どうしていいか分からなかった。

指示してくれる人はいないんだ。

どんどん孤立してどんどん落ちていった。

分からなかった。

この一言に尽きる。

分からないまま終わった。この人生は。

 

「ああれ?」

生きている。

冷たいアスファルトの質感がまだ生きていることを教えてくれた。

寒い。

やっとのこと立ち上がると鉄格子に掴まり辺りを見渡した。

「アキラくんはやってくれたのか

よろめきながらも部屋の外に出ることが出来た。

天井がガタガタとうるさい。

ドタドタと足音がここまで響いている。

「上で何かあったのか?」

一通り部屋を覗いたが、牢は空っぽ。

おそらく、アキラくんが他の人も逃して、暴動が起こっているんだろう。

だったら好都合だ。この暴動に紛れて脱出できるはずだ。

 

「こうしちゃおれんな。坂東さんあんたの死は無駄じゃなかったぞ」

 

足の痺れも無くなり、スムーズに階段を上ると

「あの女絶対殺す

ブツブツつぶやく声が聞こえる。

数メートル先に女が座り込んでいる。

あれは、美島ユリエか。