第八食

08誘惑


「美島を殺せ!」

「殺せ!殺せ!」

多人数の足音と共に、

中高年代の男性の声が至る所から聞こえてくる。

四、五人はいるな。

これ以上の殺気を感じることは今後無いだろう。

長い廊下を走る。標的は【僕ら】だ。

右へ、左へ。蛇のようにうねうねとした廊下をただ走り続ける。

「鍵は、見つかったのか?」

息を切らしながら蓮さんに尋ねる。

「すみません。他の方はやはり持っていませんでした」

「その血はどうしたの?」

俺の少し後ろを走っている京子が蓮さんを見る。

確かに。騒ぎで気づかなかったが、蓮さんの後頭部付近に大量の血が付いている。

「たいしたことありません。年中血を被っているようなものですし。それより声が近くなっています。早く逃げましょう」

酷いジョークだ。

「どこに逃げるの?鍵がないと裏口から出れないわ」

「正面突破ですよ。もうセキュリティがどうとか、監視カメラがどうとか言っていられませんからね!」

京子の問いに蓮さんがすぐさま答える。

なるほど。

こんな騒ぎだ、セキュリティをかいくぐる事よりも生きて帰れるかが重要になったわけだ。

「この廊下の先の大階段を下ると屋敷を出られます」

 

曲がり角。小さな足音が聞こえる。非常にゆっくりだ。

後ろの人に止まるよう合図すると、足音はだんだんと近くなっているのが分かった。

「俺が先に行く。合図したら来てくれ」

小声でそう言うと、俺は廊下へ出た。薄暗い通路の先、小さな人影が現れた。小さなテディベアを右手で抱え、左手の親指を口にくわえている。

美島妹!?

ただ一人でさまよっているのが見えた。

駆け寄って様子を見る。

「おい、大丈夫か?」

「おやつ

「え?」

「ママがダメだって

指をくわえてこちらを凝視する。

「ねぇ?誰かいるの?アキラ」

後ろから京子たちが呼んだ。

「アイナちゃんだ。こっちに来てやってくれ」

「アイナ!」

通路に顔を出した京子が顔を真っ青にした。

「でもね、もうママ、グチャグチャなの」

後ろからは可愛らしい子供の声。

「アキラ離れて!」

 

その瞬間激痛が走った。

 

「ぐあああ、いでぇええええ」

「オヤツ!オヤツ!!」

痛い。痛い。痛い!イタイ。

痛覚以外の感覚がどこかへいってしまっている。

奥歯で小指を噛みちぎろうとしている。

焼けるように熱い。

子供だということも忘れて

片手で奴の髪を掴んだあと、思いっきり頭を殴っていた。

「ぎゃぁあああ。イヤ、痛いよ、ママー!」

奴を振り払うと、

激しく跪く。

寒気だ。

心臓が荒々と波打つ中、どんどん視界がフェードアウトする。ものの輪郭しか見えない。

そうだ。ここは人食いの家なんだ。

あの光景を思い出し、総毛立つ。きっと顔は真っ青なんだろう。

「噛みちぎりやがった。アイツ!」

「アキラ!!」

京子が奴と俺を引き離すのが見える。

「うわーん。痛いよぉお」

京子がアイナを慰める。

「アイナ!おばあちゃんの家、分かるわね。お姉ちゃん達も後から行くから、先に行っててくれる?」

「うううでも

「お願い」

ゆっくりと頷いたのを見て京子は自分が来ていた上着を着せる。

「いい子ね。さあ、行きなさい!」

震えた声でそう言い、アイナの背中を押した。

アイナが遠ざかっていくのを見届ける。

 

「どこか、座れる場所は」

壁に寄りかかり、そのままズルズルと床に横たわる。

とっさに抑えた指はまだ繋がっている。

「ああそんな」

京子がわたわたと駆け寄る。

「ちょっと待ってくれ、今動けないんだ

昔から殴り合いの喧嘩もしたことがないんだ。大怪我を負ったこともないんだ。

大量の血が流れている。

痛みのせいか、今の僕はひどく冷静なのだ。

「全くだらしないですね。貧血ですよ。ただの」

蓮さんが壁に寄りかかる俺を通り過ぎるとアイナがきた通路の方向を見る。

一寸先は闇だ。

「なに言っているの。アキラ、今手当てしてあげる」

俺が傷口を差し出すと、

「肉が骨が見えているじゃない!」

げ、生々しいこと言わないでくれないか。

と、ちょうど視界が安定してきたときだ。

 

京子が黙った。

 

あれ?さっき見た顔だな。

あの表情。獲物を見つめ、ただ凝視する。

 

妹にそっくりだ。